常紋トンネル――闇の中から聞こえる声

 北海道、北見市と遠軽町の境にある常紋峠。

かつてここには、山を貫く一本の鉄道トンネルがありました。

その名は――常紋トンネル。

昼間でさえ薄暗く、周囲には深い森が広がっています。

そして、このトンネルには昔から、ある恐ろしい噂が語り継がれていました。

「夜になると、トンネルの中から人の声が聞こえる」

そんな話です。

ある夏の夜、私はその噂を確かめるため、常紋峠を訪れました。

時計は、午後11時を回っていました。

車のエンジンを止めると、周囲は一瞬で静寂に包まれました。

聞こえるのは、森を抜ける風の音だけ。

懐中電灯を手に、私はゆっくりとトンネルへ近づいていきました。

入り口に立った瞬間、不思議な感覚に襲われました。

まるで、トンネルの奥からこちらを見ている誰かがいるような――。

「気のせいだ」

そう自分に言い聞かせ、私は中へ進みました。

数十メートル歩いたところで、

「……カン……カン……」

どこからか、金属を叩くような音が聞こえました。

私は足を止めました。

音も止まりました。

さらに一歩進む。

すると――

「……カン……カン……カン……」

今度は、さっきよりはっきり聞こえます。

誰かが、トンネルの奥で何かを叩いている。

そう思った瞬間でした。

「……たすけて……」

小さな声が聞こえました。

私は息をのみました。

空耳だと思い、耳を澄ませます。

すると今度は、はっきりと聞こえました。

「……ここから……出して……」

声は、トンネルの奥から聞こえてきます。

私は怖くなり、引き返そうとしました。

その瞬間。

背後から――

「……まだ……帰るな……」

低い男の声がしました。

振り返ります。

しかし、そこには誰もいません。

懐中電灯で周囲を照らしても、人影はありません。

ただ、暗闇だけが広がっています。

私は急いで出口へ向かいました。

ところが、走り始めた直後。

前方から、何かが近づいてくる音が聞こえました。

ザッ……ザッ……ザッ……

まるで、誰かがこちらへ歩いてくるような音。

私は立ち止まりました。

そして、暗闇の中に懐中電灯を向けました。

何もいません。

それでも足音だけは、確実に近づいてきます。

ザッ……ザッ……ザッ……

そして――

私のすぐ目の前で、足音が止まりました。

静寂。

次の瞬間、耳元で声がしました。

「……仕事に戻れ……」

私は反射的に走り出しました。

振り返ることはできませんでした。

必死に走り、ようやくトンネルの外へ出た私は、車へ駆け込みました。

エンジンをかけようとした、その時。

車の後部座席から、

「……まだ終わってないぞ……」

という声が聞こえました。

私は恐る恐るバックミラーを見ました。

そこには――

誰もいません。

しかし、曇った窓ガラスには、

まるで誰かが指で書いたような文字が残っていました。

「帰るな」

翌朝、私はその場所を離れました。

あの夜、聞いた声が何だったのか。

今でも分かりません。

ただ、常紋トンネルには、過酷な労働の歴史があり、多くの人々が厳しい環境の中で働いたという記憶があります。

だからこそ、この場所にまつわる怪談は、単なる「怖い話」ではなく、

暗い歴史の中に残された人々の記憶が、今も語り継がれているのかもしれません。

もし夜の常紋トンネルで、

「カン……カン……」

という音を聞いたとしても――

決して、その音を追ってはいけません。

そして、もし暗闇の奥から、

「……仕事に戻れ……」

という声が聞こえてきたら。

その時は――

何も見なかったことにして、静かにその場を離れてください。

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