荒倉トンネル――出口に立つ男

深夜の荒倉トンネルを、車で通った時の話だ。

その日は雨が降っていた。

山道には街灯もほとんどなく、ヘッドライトが照らす先だけが、暗闇の中に浮かんでいた。

午前一時を過ぎた頃、ようやくトンネルの入口が見えてきた。

古びたコンクリートの壁。

入口の上には、暗闇に沈んだトンネル名。

「……ここか」

そう呟いて、車をトンネルへ入れた。

中に入った瞬間、車内の空気が妙に重くなった。

ラジオの音も、エンジン音も、急に遠くなったように感じる。

そして、トンネルの中央付近まで進んだ時だった。

前方に、人影が見えた。

黒っぽい服を着た男が、道路の端に立っている。

こんな時間に歩いていること自体がおかしい。

しかも、その男は車が近づいているのに、まったく動かなかった。

クラクションを鳴らそうか迷ったが、何となく嫌な感じがして、そのまま通り過ぎることにした。

男の横を通過する。

その瞬間、ルームミラーを見た。

男は――こちらを見ていた。

いや。

正確には、こちらではなかった。

男は車の後部座席を見つめていた。

「……え?」

思わずブレーキを踏みそうになった。

だが、怖くて振り返ることができない。

そのままトンネルを抜け、少し離れた場所まで走った。

ようやく安心して、後部座席を確認した。

誰もいない。

「見間違いか……」

そう思った。

その時だった。

後部座席の足元から、

コン……

と、小さな音がした。

何かが車内を叩いたような音だった。

運転しながら、もう一度ルームミラーを見る。

すると――

後部座席の窓に、手形がいくつも付いていた。

外側ではない。

内側から押しつけたような手形だった。

「なんだよ……これ……」

その瞬間、車の後ろから、

「まだ……出てない」

と、男の声が聞こえた。

アクセルを踏み込んだ。

バックミラーを見ることはできなかった。

ただ、車内の後ろから、

コン……

コン……

コン……

と、一定の間隔で窓を叩く音が続いていた。

やがて自宅に着き、震える手で車を降りた。

怖かったが、最後に一度だけ車内を確認した。

後部座席には何もない。

ところが、運転席へ戻ろうとした時――

フロントガラスに、指で書かれたような文字が残っているのに気づいた。

「出口はまだ」

その文字を見た瞬間、トンネルで見た男の姿が頭に浮かんだ。

そして後になって気づいた。

あの時、トンネルの出口を出た直後から聞こえていた音。

あれは車の外からではなかった。

ずっと、

後部座席の中から聞こえていたのだ。

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