松工裏の電話ボックス――受話器の向こうから聞こえた声
夜の十一時を少し過ぎた頃だった。
その日は友人と二人で車に乗っていた。
目的地もなく、街灯の少ない道を適当に走っていると、松工の裏手にある細い道へ入った。
昼間なら何ということもない場所だったが、夜になると周囲は驚くほど静かだった。
学校の建物は暗く、裏手にはほとんど明かりがない。
その道を抜けようとしたとき、友人が突然、
「ちょっと止めて」
と言った。
車を止めると、友人は道路脇を指差した。
そこには古びた電話ボックスが立っていた。
今ではほとんど使われていないような、昔ながらの電話ボックスだった。
ガラスには薄く汚れがつき、内部には一台の公衆電話が残っている。
「まだ電話あるんだな」
そう言って友人が車から降りた。
俺は車内で待っていた。
ところが、数分経っても戻ってこない。
窓越しに見ると、友人は電話ボックスの中で受話器を持っていた。
何か話しているようだった。
俺はクラクションを軽く鳴らした。
すると友人が振り返った。
その顔が妙に青ざめていた。
車に戻ってくるなり、
「今、誰かから電話かかってきた」
と言った。
「誰から?」
「分からない。でも……」
友人はそこで言葉を止めた。
「受話器を取ったら、向こうから俺の声が聞こえた」
冗談だと思った。
だが、友人は笑っていなかった。
そして、
「しかも、今から言うことを全部知ってた」
そう言った。
俺たちは気味が悪くなり、その場を離れることにした。
しばらく走っていると、車内の携帯電話が鳴った。
友人のスマホだった。
着信表示を見ると、番号は表示されていない。
非通知だった。
友人は無視した。
すると、すぐにもう一度鳴った。
今度は俺のスマホだった。
同じ非通知。
二人とも黙った。
やがて着信は切れた。
「もう帰ろう」
そう言って車を走らせた。
その直後だった。
後部座席から、
「……まだ帰らないで」
と声がした。
俺も友人も後ろを振り返った。
誰もいない。
だが、確かに女でも男でもない、妙に乾いた声が車内に響いた。
友人が慌てて車を路肩に止めた。
そして震える手で後部座席を見る。
何もない。
ところが――
後部座席の足元に、古い電話の受話器が落ちていた。
コードはどこにも繋がっていない。
二人とも声が出なかった。
その瞬間、友人のスマホがまた鳴った。
画面を見る。
非通知だった。
今度は俺が、
「出るな」
と言った。
しかし友人は、なぜか電話に手を伸ばした。
そして受話器を耳に当てた。
数秒間、無言だった。
やがて友人の顔から血の気が引いていく。
「……分かった」
小さくそう答えると、電話を切った。
俺が、
「何だった?」
と聞くと、
友人はゆっくりこちらを向いた。
そして震えながら言った。
「電話ボックスにいる」
「……誰が?」
友人は答えなかった。
ただ、車の後ろを見つめている。
俺も恐る恐るバックミラーを見た。
そこには、さっきまで走ってきた暗い道が映っていた。
そして遠くに――
小さな明かりが見えた。
電話ボックスだった。
俺たちが離れたはずの松工裏の電話ボックスが、なぜか車のすぐ後ろに立っていた。
その中で受話器を持った誰かが、こちらを見ていた。
そして、電話ボックスの中から、
「次は、あなたが電話に出て」
と声がした。
俺はアクセルを踏み込んだ。
それ以来、二人ともその場所には近づいていない。
ただ、友人は今でも時々、非通知の電話を受けるという。
そして電話に出ると、決まって最初に聞こえるらしい。
――遠くで鳴る、公衆電話の呼び出し音が。
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